米騒動(1918年)とは?原因・経過・結果を会話形式でやさしく解説
目次
米騒動(こめそうどう)をやさしく解説
ミライくん 「先生、最近ニュースでお米の値段が上がってるって言ってたよ。おうちでもお米買うの大変なんだって…。」
先生 「そうだね。日本ではお米は昔も今も大切な食べ物だよね。値段が上がると家計にも直接影響が出る。今みたいに生活に関係のある話が、昔もあったんだよ。」
ミライくん 「昔って? どんなふうに?」
先生 「100年以上前、大正時代(1910年代)に、急にお米の値段がぐんと上がったことがあって、多くの人たちが大きな騒ぎを起こしたんだ。」
ミライくん 「そんなことがあったの!? どんな騒ぎ?」
先生 「それが『米騒動(こめそうどう)』だよ。今日はこれをていねいに説明していくね。」
📌 1.ポイント
米騒動とは、1918年(大正7年)に、日本全国で起こった「お米の値段が急に高くなったことに対して、多くの人たちが立ち上がった騒動」です。
主婦や労働者だけでなく、都市・農村問わず広い範囲で起きました。
起きた理由は、お米の値段が急に上がったことです。第一次世界大戦中の景気変動や商人の買い占めなどで米価が高騰し、政府の対応が遅れたことで、人々の生活が苦しくなりました。
発端は富山県の主婦たちでしたが、そのニュースが全国に広がり、多くの地域で抗議やデモになりました。
その結果、当時の政府(寺内正毅内閣)は責任を取って辞職し、のちの大正デモクラシーと呼ばれる政治の動きにつながっていきました。
🧠 2.「米騒動」が起きた背景を順に説明
① なぜお米の値段が上がったの?
ミライくん 「先生、なんでお米の値段が急に上がったの?」
先生 「いい質問だね。いくつか理由が重なっていたんだ。」
第一次世界大戦の影響で物価が上がり、日本では工場労働者や都市人口が増えた一方、お米の生産量はそれほど増えませんでした。 その結果、需要が供給を上回り、値段が上がったのです。さらに、シベリア出兵のニュースをきっかけに、商人が米を買い占めたことも価格高騰に拍車をかけました。流通面でも、売り惜しみや投機が進み、米価は一気に上昇しました。
② 値段の上昇はどれくらい?
1石(約150kg)のお米は、年初は15円ほどだったものが、8月には40円以上、9月には50円以上にまで跳ね上がりました。これは当時の人たちにとって、給料何か月分にも匹敵する大きな負担でした。
📢 3.米騒動はどう広がった?
1918年7月、富山県の主婦たちが「こんな高いお米は買えない」と声を上げたことが始まりでした。この動きが新聞で「越中女房一揆」として報じられ、全国に広がっていきます。やがて都市や地方で、米屋への抗議、商店への押し込み、警察や軍との衝突といった大規模な騒動へと発展しました。
🏛 4.政府はどうした?
ミライくん 「騒ぎが大きくなったら、さすがに政府が対応した?」
先生 「対応はしたけれど、国民から見ると十分とは言えなかったんだ。」
政府は軍隊を出して鎮圧し、一部で価格調整も行いましたが、人々の不満は収まりませんでした。
🏛 5.騒動の結果は?(影響)
ミライくん 「こんなに大きな騒ぎになったら、そのまま終わりってことはないよね?」
先生 「その通りだよ。米騒動は、日本の政治や社会に大きな影響を残したんだ。」
まず、寺内正毅内閣が総辞職しました。これは国民の生活問題が政治を動かした、非常に重要な出来事です。
その後、原敬が首相となり、政党を中心とした政治が進められるようになります。
さらに、「声を上げれば社会は動く」「生活と政治はつながっている」という意識が国民の間に広がりました。
この流れが、のちに大正デモクラシーと呼ばれる動きにつながっていきます。
📦 7.ちょっと深めのポイント
米騒動は、単なる物価への怒りではありませんでした。労働組合の活動が活発になり、農民運動が広がり、女性の社会的な動きも目立つようになります。
1918年は、戦争の影響、社会構造の変化、国民意識の高まりが重なった転換点でした。
✨ 8.今日のまとめ(もう一度、結論)
米騒動とは、1918年に全国で起きた、米価急騰への大規模な抗議行動です。
戦争や経済の影響、買い占めによって生活が苦しくなり、人々の不満が爆発しました。
その結果、政府が交代し、国民の声が政治に影響する時代への一歩となりました。
🎯 最後に(今の生活とつなげて)
食べ物の値段が上がることは、今も昔も生活に直結する問題です。米騒動は、当時の人たちが生活の苦しさを共有し、声を上げた出来事でした。そしてその声は、社会や政治を動かす力になりました。
歴史は暗記するものではなく、「人々の生活や気持ちを想像すること」。今の自分の生活と結びつけて考えることが、いちばん大切なんだよ。
