政党政治と政党内閣とは?大正デモクラシー期の政治の特徴をわかりやすく解説
目次
政党政治と政党内閣(大正デモクラシー期)
佐藤先生
💡 結論だけ先に言うと――
政党政治とは、国民が選んだ政治家がグループ(政党)をつくり、そのグループが国の政治を運営するしくみ。政党内閣とは、その政党が中心になって内閣(政治のリーダー集団)をつくること。大正デモクラシー期には、この「国民の声が政治に反映される政治」が強く求められ、政党政治と政党内閣が進展した。
政党政治とは、国民が選んだ政治家がグループ(政党)をつくり、そのグループが国の政治を運営するしくみ。政党内閣とは、その政党が中心になって内閣(政治のリーダー集団)をつくること。大正デモクラシー期には、この「国民の声が政治に反映される政治」が強く求められ、政党政治と政党内閣が進展した。
日常でイメージしてみよう
佐藤先生
「ミライくん、君は学校のクラスで『学級委員』を選んだことあるよね?」
ミライくん
「うん、クラスの代表としていろいろ決めてくれる人だよね。」
佐藤先生
「もし学級委員だけで決めるんじゃなくて、いくつかのグループ(たとえばスポーツ好きグループや勉強好きグループ)で話し合って、クラスのみんなの意見をまとめてから決めるっていう仕組みがあったらどう?」
ミライくん
それがまさに『政党政治』っていう仕組みなんだよ。みんなの代表である議員たちがグループ(政党)をつくって、国のことを決めるんだ。
いつもとの政治と何が違うの?
ミライくん
「今の日本の政治は選挙で選ばれた人が政治をしてるけど、『政党』ってよくニュースで聞くよね。それとどう違うの?」
佐藤先生
「いい質問!日本は今でも、選挙で選ばれた人(国会議員)が政治をする仕組み。でも、明治時代に国の方針を決める政治が「お偉い人たちの話し合い」で進むことが多かったことを指していて、それが「藩閥政治」や「超然主義」と呼ばれる仕組みでした。」
政党政治ってそもそも何?
ミライくん
「政党政治って、グループが政治するってこと??」
佐藤先生
「うん、そう。政党政治とは、選挙で選ばれた人たちが政党というグループをつくり、そのグループが国の政治を進めていく仕組みだよ。今の日本でも、たとえば自民党や立憲民主党みたいに、いくつかの政党があるよね。政党の中で同じ考えの政治家が集まって、国の方針を決めるんだ。」
内閣というのは、国の政治の「実行チーム」みたいなものです。総理大臣がリーダーで、大臣たちがいろいろな仕事を分担して実際に政治を進めます。つまり、
- 政党政治=国民の代表である政党が政治を動かすしくみ。
- 政党内閣=その政党が中心になって内閣をつくること。
大正時代の「本格的な政党内閣」のはじまり
佐藤先生
「実は日本でも、政党が内閣の中心になる『政党内閣』は最初からあったわけじゃないんだよ。」
佐藤先生
「本格的には1918年に原敬さんが政党のリーダーとして内閣をつくったときからだと言われているんだ。」
この時代、それまでの政治は偉い元老や軍・官僚が中心で、国民の声が政治に届きにくい面がありました。そんな中で、国民の声が反映される政治を求める動きが強まってきました。
大正デモクラシーと政党政治の関係
ミライくん
「大正デモクラシーって前に読んだけど、政党政治と関係あるの?」
佐藤先生
「すごく関係が深いよ。大正デモクラシーの時期は、国民一人ひとりが政治に関心を持つようになり、もっと民意が政治に反映されるべきだっていう考えが広がった時代なんだ。その中で、『普通選挙』や『政党による政治』が進んでいったんだ。」
たとえば、1918年の米騒動のような民衆の動きが、政治のあり方を変えるきっかけになりました。人々は「国民の声が政治にもっと反映されるべきだ」と考えるようになり、それが政党政治を強めました。
政党内閣って具体的にどういう政治?
ミライくん
「先生、政党内閣ってどんな政治?」
佐藤先生
「政党内閣は、その政党が国会でたくさん席を持っていることが大切なんだ。国会で過半数を持つ政党が内閣をつくることで、法律や予算を通しやすくなるんだよ。」
これは今の日本の議院内閣制と同じ仕組みで、
- 国民が国会議員を選挙で選ぶ
- その議員たちで政党ができる
- 議会で多数の政党が内閣をつくる
- 内閣が政治を進める
こうした仕組みは、国民の意見が政治に反映されやすくなる特徴があります。
政治が変わるときの「護憲運動」
ミライくん
「先生、『護憲運動』ってなんだっけ?」
佐藤先生
「『憲政の常道』っていう言葉に関係する運動なんだよ。憲政の常道っていうのは、政党が中心になって政治を進めるのが当たり前っていう考え方なんだ。」
男子普通選挙の実現
佐藤先生
「大正デモクラシーのもっと大きな成果のひとつが、普通選挙の実現なんだ。これにより、これまで税金をたくさん払っていないと投票できなかったのが、すべての成人男性が投票できるようになった。」
でもその後、どうなったの?
佐藤先生
「最初はうまくいっていたけれど、だんだん政治がうまくいかない時期も出てきたんだ。1920年代の終わりには世界恐慌が起きて、日本も経済が苦しくなったよね。社会の中で『政治はうまくいってない』っていう声が強くなり、軍部が政治に影響を強めるようになったんだ。その流れが進むと、1932年の五・一五事件のような事件が起こって、政党政治の仕組みが壊れてしまったんだよ。」
まとめ:大正デモクラシー期の政党政治と政党内閣
佐藤先生
「今回のまとめだよ、ミライくん。」
- 政党政治は、国民が選んだ政治家が政党をつくって政治を進めていく仕組み。
- 政党内閣は、その政党が中心になって内閣をつくり政治を行うこと。
- 大正デモクラシー期には、国民の政治参加意識が高まり、政党政治が本格的に進展した。
- 原敬内閣やその後の政党内閣が、国民の声を政治に反映しようとする新しい時代を切り開いた。
- しかし、経済や社会の混乱、軍部の台頭などにより、この仕組みは次第に弱まっていった。
一言で言えば: 大正時代は、国民の声を政治に反映させようとする『政党政治』とその中心役である『政党内閣』が進んだ時代だった。そしてその流れは、後の日本の政治の形を考えるうえで、とても大切な時期なんだよ。
必要なら、図や年表をまじえた解説バージョンも作れますので遠慮なく言ってください!
チェック問題
問題1. 政党政治の基本的な考え方として正しいものはどれですか?
問題2. 初の本格的な政党内閣のときの首相は誰ですか?
問題3. 大正デモクラシー期に進んだものはどれですか?
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