日米修好通商条約とは?不平等の中身(領事裁判権・関税自主権)や影響を分かりやすく解説

歴史の転換点!日米修好通商条約を分かりやすく解説

佐藤先生 佐藤先生
ミライくん、こんにちは。今日から日本の歴史の中でも、特に大きな転換期となった時代について勉強していこう。
ミライくん ミライくん
先生、こんにちは。歴史って覚えることが多くて苦手なんですよね。特にカタカナの名前とか、長い漢字のきまりの名前が出てくると、それだけで頭が痛くなっちゃいます。
佐藤先生 佐藤先生
ははは、確かにそうだね。条約の名前とか法律の名前って、どれも難しそうに見えるよね。でもね、歴史の出来事って、実は現代の僕たちの生活にも深くつながっているんだよ。今日お話しする「日米修好通商条約」というのも、今の日本が外国といろいろな品物を売り買いできている原点になった出来事なんだ。
ミライくん ミライくん
にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく……。うわあ、漢字が8文字も並んでいて、もう不吉な予感しかありません。これって、いったい何なんですか。
佐藤先生 佐藤先生
文字だけ見ると難しく感じるけれど、言葉を細かく分けていけば簡単だよ。まず「日米」は日本とアメリカのこと。「修好」は仲良くしましょう、という意味。「通商」は貿易、つまりモノの売り買いをしましょう、という意味。傷条約は国と国との間の約束事だね。つまり、日本とアメリカが仲良くして、お互いに貿易を始めましょうという約束のことんだ。
ミライくん ミライくん
なるほど。日本とアメリカが貿易をするための約束、って言われれば、なんとなくイメージがわきます。でも、それのどこがそんなに重大なんですか。今の時代、アメリカの製品なんてそこら中にあふれてるじゃないですか。
佐藤先生 佐藤先生
そうだね。でも、この条約が結ばれたのは1858年。今から170年近くも前のことんだ。当時の日本がどんな状態だったか、覚えているかい。
ミライくん ミライくん
ええと、確か「鎖国」ってやつですよね。外国の人は日本に入ってきちゃいけないし、日本の人も外国に行っちゃいけないっていう、引きこもりみたいな状態。
佐藤先生 佐藤先生
その通り。大正解だよ。日本は江戸時代になってから200年以上もの間、基本的には外国との付き合いを厳しく制限していたんだ。オランダや中国など、ごく限られた国と、長崎の出島という狭い場所だけでこっそり貿易をしていた。日本中、どこの海を見渡しても外国の大きな船なんてめったに現れない、そんな静かな国だったんだよ。
ミライくん ミライくん
200年も引きこもっていたんですね。それなのに、なんで急にアメリカとそんな約束を結ぶことになったんですか。仲良く貿易しようだなんて、急に心変わりしたんですか。
佐藤先生 佐藤先生
いい質問だね。実は、日本が自分から「貿易したいな」と言い出したわけではないんだ。むしろ、アメリカから無理やり「引きこもりをやめて、ドアを開けなさい」と迫られたんだよ。そのきっかけを作ったのが、歴史の教科書でも有名な、あの人物だ。
ミライくん ミライくん
あ、知ってます。ペリーさんですよね。黒い大きな船に乗ってやってきた人。
佐藤先生 佐藤先生
そう、マシュー・ペリー代将だね。1853年に、神奈川県の浦賀という場所に4隻の黒船を率いて突然やってきた。当時の日本人は、煙を吐きながら進む巨大な鉄の船を見て、ひっくり返るほど驚いたんだ。ペリーはアメリカの大統領からの手紙を持ってきて、「日本も国を開いて、アメリカの船に水や石炭、食料を分けてくれ。貿易を始めよう」と要求した。
ミライくん ミライくん
200年も誰も来なかったのに、急に大砲を積んだ黒い船で来られたら、めちゃくちゃ怖いですよね。僕だったらすぐに逃げちゃいます。当時の日本のリーダーたちはどうしたんですか。
佐藤先生 佐藤先生
当時の日本の政治を行っていたのは、江戸幕府だね。幕府の役人たちも大パニックになったよ。戦おうにも、大砲の性能も船の大きさも、アメリカの方が圧倒的に上だった。だから、その場では「ちょっと考えさせてください。来年また来てください」と言って、ペリーを一度帰したんだ。
ミライくん ミライくん
時間を稼いだわけですね。でも、ペリーはまた来たんですよね。
佐藤先生 佐藤先生
そう、次の年の1854年に、今度はもっとたくさんの船を連れて戻ってきた。幕府はもう断りきれなくなって、まずは「日米和親条約」という約束を結んだ。これは「アメリカの船が困ったときは、下田と箱館という2つの港で水や薪、食料を分けてあげます」という内容だったんだ。
ミライくん ミライくん
あれ、それってまだ貿易は始めていないんですか。
佐藤先生 佐藤先生
そうなんだ。和親条約は、あくまで「困っている船を助けてあげる」という親切心ベースの約束で、一般の商人が品物を売り買いするような貿易は認めなかった。でも、アメリカの本当の目的は、日本という新しい市場でビジネスをすることだったんだ。だから、その後に本命の男が日本に送り込まれてくることになる。
ミライくん ミライくん
ペリーさんの次に、また誰か来たんですか。
佐藤先生 佐藤先生
その人の名前はハリス。アメリカの総領事、つまり外交の責任者として、静岡県の下田にやってきた。ハリスの任務は、日本に本格的な貿易の約束、つまり「日米修好通商条約」を認めさせることだったんだ。
ミライくん ミライくん
ハリスさん。なんだか強そうな名前ですね。ハリスさんも黒船で脅してきたんですか。
佐藤先生 佐藤先生
いや、ハリスはペリーのように軍隊を率いて脅すようなやり方はしなかった。その代わり、ものすごく巧みな「交渉」と「心理戦」を仕掛けてきたんだ。当時の世界情勢をダシに使って、日本の役人たちをビビらせたんだよ。
ミライくん ミライくん
心理戦ですか。どんな風に日本の役人を怖がらせたんですか。
佐藤先生 佐藤先生
ハリスはこう言ったんだ。「今、アジアではイギリスやフランスという国が、ものすごい勢いで戦争をして植民地を広げている。隣の中国(当時は清という国)も、イギリスに戦争でボコボコにされて、無理やりおかしな条件で国を開かされた。もし日本がこのまま国を閉じ続けていたら、次はそのイギリスやフランスが軍艦で押し寄せてきて、日本を占領してしまうかもしれないぞ」ってね。
ミライくん ミライくん
うわあ、それは怖い。隣の大きな国がやられたって聞いたら、次は自分の番だって思いますよね。
佐藤先生 佐藤先生
そうなんだ。さらにハリスはこう続けた。「でも、もしアメリカと先に平和的な貿易の約束を結んでおけば、アメリカが日本の味方になってあげることもできる。アメリカはイギリスみたいに乱暴なことはしない。だから、イギリスが来る前に、私と条約を結んだ方が安全だよ」と、親切なフリをして迫ったんだ。
ミライくん ミライくん
ハリスさん、頭がいいですね。まるで「オレと契約すれば、あいつらの暴力から守ってやるよ」っていう、ちょっと怪しいお兄さんみたいです。
佐藤先生 佐藤先生
まさにそんな感じだね。当時の幕府の最高責任者だった大老という役職の「井伊直弼(いいなおすけ)」という人物は、ハリスの言うことも一理あると考えた。このまま断り続けて戦争になるよりは、アメリカの提案を受け入れて、平和的に貿易を始めた方が国を守れるんじゃないかってね。
ミライくん ミライくん
なるほど。それで、ついにその「日米修好通商条約」を結んじゃったわけですね。
佐藤先生 佐藤先生
その通り。1858年に、ハリスと井伊直弼の間で条約が結ばれた。これによって、日本はついに200年以上の引きこもり生活、つまり鎖国を完全に終わらせて、世界に向かってドアを開けることになったんだ。
ミライくん ミライくん
なんだか、ハリスさんのアドバイスのおかげで、戦争をせずに平和に国を開けたなら、めでたしめでたしって感じがしますけど、違うんですか。
佐藤先生 佐藤先生
ここからが本題なんだよ、ミライくん。実はこの約束、中身を見てみると、日本にとってめちゃくちゃ不利で、不平等な内容だったんだ。
ミライくん ミライくん
ええっ、不平等。アメリカに騙されちゃったんですか。
佐藤先生 佐藤先生
騙されたというか、当時の日本には外国と交渉するための知識が足りなかったんだね。この条約の何がそんなに不平等だったのか。ポイントは大きく分けて2つある。この2つは、歴史のテストでも絶対に強烈に攻められる超重要ワードだから、しっかり聞いてね。
ミライくん ミライくん
うっ、テストに出るキーワード。頑張ってメモします。
佐藤先生 佐藤先生
まず1つ目は、「領事裁判権(りょうじさいばんけん)を認めた」ということ。これは別名「治外法権(ちがいほうけん)」とも言うよ。
ミライくん ミライくん
りょうじさいばんけん。また難しい言葉ですね。どういう意味なんですか。
佐藤先生 佐藤先生
簡単に言うとね、「日本にいるアメリカ人が、日本でお巡りさんに捕まるような悪いことをしても、日本の法律では裁けません。アメリカの役人(領事)が、アメリカの法律で裁判をします」というルールなんだ。
ミライくん ミライくん
えええ。それってめちゃくちゃおかしくないですか。例えば、アメリカの人が日本で誰かのお財布を盗んだり、人を傷つけたりしても、日本の警察や裁判所は何もできないってことですか。
佐藤先生 佐藤先生
そうなんだ。日本の法律で罰することができない。アメリカの領事が裁判をするんだけど、どうしても身内のアメリカ人に甘い判決を下しがちになる。これだと、日本人が被害に遭っても、泣き念入りするしかなくなっちゃうよね。自分の国の中で起きた犯罪なのに、自分の国の法律が通用しない。これは国のプライドとしても、国民の安全としても、すごく不平等なことなんだ。
ミライくん ミライくん
それはひどいです。アメリカのやりたい放題じゃないですか。なんで幕府はそんなルールをオッケーしちゃったんですか。
佐藤先生 佐藤先生
当時のアメリカやヨーロッパの国々から見ると、日本の法律や刑罰は「遅れている、野蛮だ」と思われていたんだ。当時の日本には、まだ残酷な刑罰や、取り調べでの拷問なんかがあったからね。「そんな恐ろしい法律で、わが国の大切な国民を裁かせるわけにはいかない」と言われて、幕府は言い返せなかったんだよ。
ミライくん ミライくん
うーん、当時の日本の事情もあったとはいえ、やっぱりずるいですよ。じゃあ、不平等なポイントの2つ目は何ですか。
佐藤先生 佐藤先生
2つ目は、「日本に、関税自主権(かんぜいじしゅけん)がなかった」ということ。
ミライくん ミライくん
かんぜいじしゅけん。また「自主権」がないんですね。関税って、確か外国から入ってくるモノにかける税金のことでしたっけ。
佐藤先生 佐藤先生
優秀だね。公民の授業で習ったことをよく覚えていたね。そう、関税というのは、外国の安い製品がたくさん入ってきたときに、自分の国の産業を守るためにかける税金のことなんだ。
ミライくん ミライくん
例えば、アメリカからめちゃくちゃ安いお米が大量に入ってきたら、日本の農家の人たちのお米が売れなくなって困っちゃいますもんね。だから、アメリカのお米に税金を上乗せして、日本の米と同じくらいの値段にするのが関税ですよね。
佐藤先生 佐藤先生
その通り。完璧な説明だよ。普通は、その税金を何パーセントにするかは、自分の国で自由に決められる権利がある。それが「関税自主権」だ。しかし、この条約では、日本が自分で税率を決めることができず、アメリカと話し合って決めなければいけなかった。しかも、アメリカに都合のいいように、ものすごく低い税率に設定されてしまったんだ。
ミライくん ミライくん
それって、日本のモノが売れなくなって、日本の経済がめちゃくちゃになっちゃうじゃないですか。
佐藤先生 佐藤先生
まさにその通り。実際、条約を結んで貿易が始まると、外国から安くて質のいい綿製品(洋服の生地など)が大量に入ってきて、日本の伝統的な綿織物職人や農家は大打撃を受けた。逆に、日本からは「生糸(絹糸のもと)」や「茶」が大量に外国へ輸出されていった。
ミライくん ミライくん
日本のモノがたくさん売れるなら、輸出はいいことなんじゃないですか。
佐藤先生 佐藤先生
普通はそう思うよね。でもね、日本の生糸が外国で大人気になって、どんどん海外に売られていった結果、日本国内の生糸が足りなくなっちゃったんだ。品不足になると、モノの値段はどうなる。
ミライくん ミライくん
あ、値段が上がっちゃう。
佐藤先生 佐藤先生
そう。生糸の値段が跳ね上がり、それに引きずられるように、お米や他のお役立ちアイテムの値段もどんどん上がっていった。つまり、激しいインフレーション(物価の上昇)が起きて、一般の庶民の生活はめちゃくちゃ苦しくなったんだ。人々は「外国と貿易を始めたせいで、俺たちの生活が苦しくなった。全部幕府のせいだ」って怒り始めたんだよ。
ミライくん ミライくん
アメリカは儲かって、日本の一般の人は大迷惑。本当に不平等な条約ですね。
佐藤先生 佐藤先生
この「領事裁判権がない(アメリカ側にある)」ことと、「関税自主権がない」ことの2つが、日米修好通商条約の2大不平等ポイントなんだ。ちなみに、アメリカとこの条約を結んだあと、日本はオランダ、ロシア、イギリス、フランスの4つの国とも、これと全く同じ不平等な条約を結ばされることになる。
ミライくん ミライくん
ええ、他の国とも。芋づる式に騙されていったんですね。
佐藤先生 佐藤先生
この5つの国と結んだ条約をまとめて「安政の五カ国条約(あんせいのごかこくじょうやく)」と呼ぶんだ。安政というのは、当時の年号だね。日本は一気に5つの国に対して、めちゃくちゃ不利な立場でのお付き合いをスタートすることになってしまったんだよ。
ミライくん ミライくん
なんだか、聞いていて幕府に対してイライラしてきました。なんでそんな弱気なんですか。しかも、国を開くかどうか、もっと日本中のみんなで話し合って決めればよかったのに。
佐藤先生 佐藤先生
実は、そこに最大の問題があったんだ。井伊直弼がこの条約を結んだとき、ある「重大な手続き」をすっ飛ばしてしまったんだよ。それが原因で、日本中が大パニックになり、江戸幕府が滅びるきっかけになっていくんだ。
ミライくん ミライくん
えっ、手続きをすっ飛ばした。どんな手続きですか。
佐藤先生 佐藤先生
当時はね、いくら幕府が政治を握っているとはいえ、日本で一番偉い形上のトップは、京都にいる「天皇」だったんだ。当時の天皇は「孝明天皇(こうめいてんのう)」という方で、ものすごい外国嫌い、つまり絶対に国を開きたくないという考えの人だった。
ミライくん ミライくん
へえ、天皇は引きこもりを続けたい派だったんですね。
佐藤先生 佐藤先生
そう。幕府はハリスに急かされていたから、天皇に「条約を結んでもいいですか」とお伺いを立てたんだけど、天皇は「絶対にダメだ」って拒否したんだ。でも、ハリスからは「早くサインしろ、じゃないとイギリスが来るぞ」って毎日プレッシャーをかけられる。困り果てた井伊直弼は、ついに天皇の許可(勅許というよ)をもらわないまま、勝手に条約にサインしちゃったんだ。
ミライくん ミライくん
わあ、勝手にやっちゃった。それは大問題になりそう。
佐藤先生 佐藤先生
大問題どころじゃなかったよ。日本中の武士たちが「天皇の言うことを無視して、外国にペコペコして不平等な条約を結ぶなんて、幕府は何を考えているんだ」って大激怒した。ここから、「天皇を敬い、外国人を追い払おう」という「尊王攘夷(そんのうじょうい)」という運動が激しくなっていくんだ。
ミライくん ミライくん
そんのうじょうい。ニュースのスローガンみたいですね。
佐藤先生 佐藤先生
そう、幕府に反対するスローガンだね。井伊直弼は、自分に反対する武士たちを厳しく処罰した(これを安政の大獄というよ)けれど、最後は怒った武士たちに、江戸城の門の近くで暗殺されてしまうんだ。これが有名な「桜田門外の変(さくらだもんがいのへん)」だね。
ミライくん ミライくん
勝手に条約を結んだリーダーが、暗殺されちゃったんですか。歴史がドラマみたいにドロドロしてきました。
佐藤先生 佐藤先生
そうなんだよ。日米修好通商条約を結んだことがきっかけで、幕府の権威はガタ落ちになり、日本国内は暗殺や小競り合いが続く大混乱の時代(幕末)に突入する。そして、最終的にはみんなも知っている坂本龍馬や西郷隆盛といった人たちが活躍して、江戸幕府は倒れ、明治新政府という新しい時代が始まることになるんだ。
ミライくん ミライくん
なるほど。この漢字だらけの条約ひとつで、日本の歴史がガラッと変わっちゃったんですね。じゃあ、明治時代になってから、この不平等な条約はどうなったんですか。ずっと不平等なままだったんですか。
佐藤先生 佐藤先生
明治政府のリーダーたちにとっても、この不平等条約を直すこと、つまり「条約改正(じょうやくかいせい)」は悲願だったんだ。だって、外国人が日本で悪いことをしても裁けないし、税金も自由にかけられないんじゃ、いつまで経っても一流の国として認めてもらえないからね。でも、外国チームはなかなか首を縦に振ってくれなかった。
ミライくん ミライくん
そりゃそうですよね。外国からしたら、自分たちに都合がいいルールなんだから、変えたくないですよね。
佐藤先生 佐藤先生
その通り。だから日本は、一生懸命に国を近代化させたんだ。法律を整え、裁判所を作り、軍隊を強くして、「ほら、日本はもう野蛮な国じゃないですよ。あなたたちと同じ立派な国ですよ」とアピールし続けた。そうして、何十年もの努力の末に、ようやく不平等を解消することができたんだ。
ミライくん ミライくん
何十年もかかったんですか。
佐藤先生 佐藤先生
そうだよ。まず、1つ目の「領事裁判権の廃止(日本の裁判権の回復)」に成功したのが、1894年。陸奥宗光(むつむねみつ)という外務大臣のときだ。条約を結んでから36年も経っている。
ミライくん ミライくん
36年。生まれた赤ちゃんが大人になっちゃう長さですね。
佐藤先生 佐藤先生
そして、2つ目の「関税自主権の回復」に成功したのが、1911年。小村寿太郎(こむらじゅたろう)という外務大臣のとき。これは条約を結んでから、なんと53年もあとのことなんだ。
ミライくん ミライくん
53年。半世紀以上じゃないですか。おじいちゃんになっちゃいますよ。それだけ、一度結んでしまった不平等な約束をなくすのは大変だったってことですね。
佐藤先生 佐藤先生
まさにその通り。だからこそ、この日米修好通商条約というのは、日本の歴史において「世界に飛び出す第一歩」であると同時に、「長年にわたる不平等との戦いの始まり」でもあったんだ。
ミライくん ミライくん
先生、お話を聞いていたら、あんなに難しそうに見えた漢字8文字の条約が、すごく身近に感じられるようになりました。日本のピンチや、昔の人たちの苦労が詰まった条約だったんですね。
佐藤先生 佐藤先生
そう言ってもらえると嬉しいよ。歴史の言葉は、その背景にあるドラマを知ると、丸暗記しなくても自然と頭に入ってくるようになるんだ。
佐藤先生 佐藤先生
それじゃあ、最後に今日お話しした内容を、一番大切なポイントだけにギュッと絞ってまとめてみよう。ここさえしっかり押さえておけば、テストでもバッチリ高得点が狙えるし、日米修好通商条約の全体像がいつでも明確に思い出せるようになるよ。
佐藤先生 佐藤先生
結論として、日米修好通商条約のポイントを整理するね。
佐藤先生 佐藤先生
日米修好通商条約は、1858年に江戸幕府の大老である井伊直弼が、アメリカの総領事ハリスの要求を受け入れ、天皇の許可を得ないまま勝手に結んだ貿易の約束である。
佐藤先生 佐藤先生
この条約によって日本は鎖国を完全に終えたが、中身は日本にとって極めて不利な「不平等条約」だった。その不平等な内容は、以下の2つの重要キーワードに集約される。
佐藤先生 佐藤先生
1つ目は、領事裁判権を認めたこと。日本にいるアメリカ人が犯罪を犯しても、日本の法律で裁くことができず、アメリカの裁判官が裁くという不条理なルールだった。
佐藤先生 佐藤先生
2つ目は、日本に関税自主権がなかったこと。外国から入ってくる輸入品にかける税金を、日本が自分の意志で自由に決めることができず、アメリカに有利な低い税率にされてしまった。
佐藤先生 佐藤先生
この条約を結んだ結果、国内では安価な外国製品の流入や生糸の輸出急増によって物価が跳ね上がり、人々の生活は困窮した。さらに、天皇の許可なく条約を結んだ幕府への怒りから、尊王攘夷運動が激化し、井伊直弼が暗殺される桜田門外の変が発生。これが江戸幕府の滅亡と明治維新へとつながる大動乱の引き金となった。
佐藤先生 佐藤先生
明治時代になってからも、日本はこの2つの不平等な中身を直すために、50年以上の歳月と多大な努力を費やすことになったのである。
ミライくん ミライくん
先生、ありがとうございます。この結論のまとめを見たら、今日のお話が全部すっきりと繋がりました。領事裁判権と関税自主権の2つ、もう絶対に忘れません。
佐藤先生 佐藤先生
素晴らしいね、ミライくん。その意気だよ。歴史はこうやって、原因と結果をセットで理解していくとどんどん面白くなる。これからもこの調子で、楽しく学んでいこうね。

📝 理解度チェック問題

【第1問】1858年に日米修好通商条約を結んだ、当時の江戸幕府の大老は誰でしょう?

💡 ワンポイント解説:
条約を結んだのは大大老の「井伊直弼」です。アメリカの総領事ハリスからの強いプッシュに押され、天皇の許可(勅許)を得ないままサインをしました。ペリーは条約を結ぶきっかけを作ったアメリカの軍人です。

【第2問】日本にいる外国人が犯罪を起こしても日本の法律で裁けない、という日本にとって不平等な権利を何といいますか?

💡 ワンポイント解説:
外国人をその国の領事が裁判する権利を「領事裁判権」といいます。これがあったため、日本国内で起きた事件であっても、日本側が犯人を厳しく処罰することができませんでした。

【第3問】日米修好通商条約において、日本に「無かった」とされる、輸入品にかける税金を自由に決められる権利は何でしょう?

💡 ワンポイント解説:
自分の国で自由に関税を決める権利を「関税自主権」といいます。これが無かった日本には安い外国製品が大量に流れ込み、国内の伝統的な産業が大打撃を受け、物価が上がる原因になりました。
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